ボルボ (VOLVO) はスウェーデンの企業グループ、またはフォード・モーターが有する乗用車のブランド名称である。かつては乗用車部門もボルボグループ傘下であったが、乗用車部門はフォード・モーターに売却されて
ボルボ・カーズとなっている。 ちなみにボルボとはラテン語で「ころがって行く」という意味である。
日本国内では乗用車メーカーに思われがちだが、1998年に乗用車部門はフォード・モーターに分離売却された。現在、乗用車のボルボはフォード・モーターの1ブランドであり、ボルボグループとの資本関係は無い。 ボルボグループ時代は「世界一安全なファミリーカー」と評価されていたが、
フォード・モーターに売却されて以降はプレミアム・オートモーティブ・グループのブランドとして、「プレミアムカー」へと路線の変更をおこなっている。 日本における乗用車部門正規輸入元であったボルボ・カーズ・ジャパンは、フォード・モーターへの売却により、傘下の乗用車ブランド5種を統合した販売組織であるプレミアム・オートモーティブ・グループの日本法人「ピー・エー・ジーインポート株式会社」に吸収合併され、同社内のボルボブランドがボルボ・カーズ・ジャパンの通称名で活動している。 日本における販売台数は2001年度の16,437台をピークに、2005年度外国メーカー車新規登録台数では、12,832台(輸入車シェア5.17%)となり、3桁の大幅値引きを持ってしてもシェアともに減少し続けている。原因としてディーラーやユーザーとの紛争、リコール隠し疑惑、などが雑誌やネットで取り沙汰され、ユーザー離れが進んでいると見られる。
プジョー (
Peugeot) は、フランスの自動車メーカーである。また、スクーターも別会社(プジョー・モトシクル)で生産している。かつてはフランス最大の自転車メーカーでもあった。青色の背景に後ろ足で立ち上がったライオンのエンブレムは「ブルーライオン」と呼ばれる。
アルマン・プジョーが創設し、甥のロベールの経営によって発展を遂げた。ロベールの時代から乗用車のみ"x0x" という真ん中にゼロを入れる三桁の数字を車名とする伝統が続いていたが、2004年発表の1007はプジョーで初めて四桁の数字の車名となった。 1974年にシトロエンと、1979年にクライスラー UK(旧ルーツ・グループ)やシムカ などとともに PSA・プジョー・シトロエングループを形成している。また、ペッパーミル(胡椒挽き)等様々な製品を生産していることでも知られる。またプジョーは自動車だけではなく小型二輪車を中心とした自動二輪車、そして自転車も製造している。PSA・
プジョー・シトロエングループの自動車生産台数は、ホンダとほぼ同規模である。
世界で最初(1886年)にガソリン自動車を発明したのがベンツ社(現在の
ダイムラー・クライスラー)であるが、世界で最初(1891年)に自動車を量産販売したのはプジョーであるため、「世界最古の自動車メーカー」の座を両社が争っている。 日本でのセールスは長らく振るわなかったが306や206の個性的なデザインでヒットし、日本でも人気
輸入車ブランドの1つに挙げられるまでになっている。 プジョーは1882年の最初の大型自転車Grand Bi以来、自転車の世界でもその名を長く轟かせている。日本では、サイクルヨーロッパジャパン株式会社がプジョー社からのライセンスに基づいて、製造・輸入・販売を行っていたが、2004年末をもってライセンス契約が終了した。今後は、プジョー東京等がフランス・プジョー製の自転車を輸入すると発表している。
1960年代に経営が苦境に陥り、1963年にフォードから買収を持ちかけられるが交渉は決裂。1969年にイタリア最大の自動車メーカー
フィアット社の援助を受け、その傘下に入ることで命脈をつないだ。この提携の結果、ディーノ206/246のエンジンがグループ内でやりとりされることとなり、フィアットからはディーノ・クーペ/スパイダー、
ランチアではストラトスが生まれた。このエンジンはキャブ、カム、ピストンに至るまで
フェラーリ、フィアットともにまったく同じにもかかわらず政治的配慮からなのか、排気レイアウトの関係からフィアットの方が馬力的に有利にもかかわらずフィアットの方が馬力が少ない表示となっている。またその後エンツォはレースのみに専念し、市販車部門にはフィアットの意向が支配するようになった結果、比較的安価な量産スポーツカーとして308シリーズが生まれ、フェラーリ史上最大のヒット作となった。308のエンジンはランチャのレーシングマシンに使用され、ランチャテーマにも積まれた。 これはやがて328、348と発展し、自動車メーカーとしてのフェラーリの屋台骨を支え、現在のF430にも連なるV8フェラーリの系譜となった。F430のエンジンはマセラティと共有であり(マセラティの方が先行採用)、実にフィアット、ランチャ、マセラティとその心臓部分を共有した歴史があるが、本来なら一番身近であったはずのアルファロメオとは共有したことがない。
日本における輸入車(ゆにゅうしゃ)とは、外国で生産されて日本に輸入された自動車のことをいう。「外車(がいしゃ)」とも呼ばれる。
第二次世界大戦の敗戦で、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本で活動するようになると、東京を中心に大量の車が持ち込まれた。GHQ関係者が使用するためである。当初はジープも多かったが日本人はすぐに大量の洗練された米国車を目の当たりに見るようになった。日本人高官や企業関係者もそういった車にのって走り回るようになった。米国車が多かったが、スポーツカーに乗るGHQ関係者は欧州製を持ち込むものもいた。アメリカで乗られている自動車とはどんなものなのかを日本人はこのとき知った。
50年代60年代はアメリカの自動車の最盛期でもあり日本でもアメリカへの憧れからアメリカ製自動車の人気は高かった。しかし、1950年代当初の国レベルでの乗用車生産すべきか否かの大議論を経て最終的にすべきと判断した国と自動車メーカーが国産車技術取得のためにライセンス生産した車は欧州車であった。1950年代は欧州車が日本のメーカーにより組立および販売されていた時代であった。日本車はマイナーな存在であり日本で乗用車とは輸入車のことという時代が続いていた。1960年代ごろまでは乗用車販売のほとんど、つまり輸入車の多くがタクシー用途への販売だった。
1970年代半ばからオイルショックを経て「大きい」、「燃費が悪い」などの理由でアメリカ車人気が凋落し、ヨーロッパ車の人気が高まった。信頼性の面から
メルセデス・ベンツなどドイツ車の人気が上がり、これらの高級車種を所有することが一種のステータスとなっていった。これらの時代では、ランボルギーニ・カウンタックに代表されるスーパーカーブームなどから、輸入車全体に対するエキセントリックなイメージが拡大していった時期でもある。
ドイツ高級車メーカーによる小型モデルも大いに人気を博し、80年代後期から90年代前期には
BMW3シリーズが日本を代表する大衆車になぞらえ「六本木カローラ」と、またメルセデス・ベンツ190Eが「小ベンツ」と皮肉られることもあった。
その一方で、高級車=ドイツ車という一般的になった価値観に対するアンチテーゼとして、ジャガー、ボルボ(現ボルボ・カーズ)、サーブ、プジョー、ルノー、アルファ・ロメオ、フィアット、ランチアといったドイツ以外のメーカーのクルマも、新たなステータスや自己表現の一つとして人気が高まった。マツダによるシトロエンやランチアなど、輸入車人気に着目した日本車ディーラーが取り扱うことで販売台数を伸ばした車種も少なからずある。とくに最近では、日産自動車と提携することでサービスネットワークを広げたルノー、独特のフロントマスクでブランドイメージが浸透したプジョーが大きく台数を伸ばしている。
一方、GMやフォード、クライスラーなどのアメリカ車は依然として「大きい」「品質が悪い」「燃費が悪い」などのマイナスイメージを引きずり長年低迷気味で、RVブームに乗ったジープ・チェロキーやシボレー・アストロ (アストロは後述の並行輸入車が多い) など一時的に人気の出た特定の車種以外は売れ行きは低迷している。
韓国車も輸入車であるが、ヨーロッパやアメリカでの好調な売れ行きに比べて日本国内では苦戦している。韓国製工業製品に対する信頼感が低いこととアフターサービス面での不安、同じ輸入車であっても欧米製に比べてブランドイメージが数段落ちること、価格は割安ではあるが、内装の質感が低かったり乗り味に洗練さが欠けている(感覚的には数世代前の日本車レベルという評価もある)などの理由で2006年現在では販売は低迷している。
一般的な輸入車とは異なるが、プラザ合意以後の円高に対応するために建設された、日本メーカの外国工場で生産された車が、日本に輸入されて販売されるケースも出てきた。→後述
全体的には、1990年代以降、外国メーカー・輸入車ディーラーの販売方法の変化(一部の富裕層やカーマニアを対象に高額な車種を少量販売する方法から、同レベル国産車の2〜3割高程度まで価格を抑えた小型・中型車種を一般層に量販する手法への転換、これに伴うディーラ網拡充)や右ハンドルの推進などにより、ヨーロッパの小型車を中心に一般にも輸入車に乗る人が増えている。